ちょっと違う風景
町の珍しいものとかを紹介します。主に社寺とお花。

ホーム 管理画面 ファイルアップ 新規記事
--2017-04-- « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 »

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

武信稲荷神社

武信稲荷神社のホームページ(http://takenobuinari.jp/)によると
『御祭神
宇迦之御魂大神(ウガノミタマノオオカミ)
佐田彦大神  (サダヒコノオオカミ)
大宮能売大神 (オオミヤノメノオオカミ)
御由緒
武信稲荷神社は、平安時代の初期、清和天皇貞観元年(859年)2月、西三条大臣といわれた右大臣左近衛大将藤原良相(ふじわらのよしすけ)公によって創祀された御社であります。 平安時代の古図には、三条から南の神社付近一帯の広い地域は「この地、藤原氏延命院の地なり」と記されています。延命院とは藤原右大臣が、人々の健康長寿を願って創設した医療施設であり、延命院と観学院(現千本三条東、西ノ京観学院町にあった学問所)の守護神としてお祀りした神社であります。
平安京の大内裏は、今の千本丸太町を中心としたところであり現在の千本通りが朱雀大路にあたり、神社付近は貴族の邸宅や平安京の中央諸官庁があった地域です。 後世、藤原武信という方がこの御社を厚く信仰し、御神威の発揚につとめたので、武信稲荷と称されるようになり、創祀以来一千年余にわたり広く人々に信仰されて今日に及んでいます。 また創祀された藤原良相公が長として一族の名付けをされていたことから、名付け・命名に所縁の神社として知られています。』
とあります。
この神社は2回訪問しました。神社玄関には、3つの鳥居が横に並んでいます。中には多くの摂社・末社があります。またこの裏には昔、刑務所があり、坂本竜馬の妻おりょうの父が捕らわれていました。坂本竜馬は神社の木に登って妻の父のようすをうかがっていたそうです。また、木には龍の文字が刻まれていたそうですが、いまでも木には傷があります。この木のそばに鳥居がありましたが、木が大きくなって石の鳥居を砕きました。この近くは新撰組のゆかりが多くのこっています。
resize15635.jpgresize15633.jpg玄関の鳥居
3つの鳥居が並んでいる。
resize15653.jpg
本殿、左に坂本竜馬が登った榎がある。手前に拝殿が見える。
resize15643.jpg resize15641.jpg
本殿横の狛犬
resize15607.jpg resize15602.jpg
白蛇大辨財天と起上大明神
resize15623.jpg resize15630.jpg
宮姫社、御神本の榎をまつります。
この榎は平重盛が安芸の宮島厳島神社より苗木を移し植えたとされている。
右の写真は木の幹が太くなって鳥居の横棒を壊しました。
resize15610.jpg
金毘羅宮と天満宮
resize15614.jpg
白清大明神、七石大明神、太郎大明神
resize15615.jpg resize15616.jpg
能勢妙見山の常吉大明神、釘抜大明神
resize15651.jpg
伏見遥拝所
resize15629.jpg resize15645.jpg
榎のきず(文字がくずれたように見えたが、宮司さんに否定された。)
スポンサーサイト

テーマ:おこしやす!京都  - ジャンル:地域情報

  1. 2008/12/16(火) 22:51:14|
  2. 中京区
  3.  | トラックバック:0
  4.  | コメント:0

錦天満宮 (新)

ブログの画像が消滅したので、新規に作成します。
【祭神】
菅原道真
塩龜神社、日の出稲荷神社、白太夫神社、七社
【建物】
拝殿には、古い懸額、唐獅子、随身がある。
【由緒】
平安時代には洛中にあったが、桃山時代 豊臣秀吉の都市計画にかかり、天正年間現在地に移った。
【ご利益、ご神徳】
厄除け、招福、知恵学問商才

民家に突っ込んだ鳥居、天満宮前のちょうちん(夜になるとあかりがともりきれいです)
拝殿、拝殿内の様子(狛犬がいます)
塩龜神社、白太夫神社、日の出稲荷神社

入り口の青銅の狛犬、拝殿内の狛犬、洛陽天満宮25社の石碑

撫で牛、絵馬、外人の絵馬も多く見られる。
錦の社の神水(飲めます)、からくりみくじ(あまり見かけません)

テーマ:おこしやす!京都  - ジャンル:地域情報

  1. 2008/10/06(月) 10:59:30|
  2. 中京区
  3.  | トラックバック:0
  4.  | コメント:2

下御霊神社

【創建】
大同二年(八〇九)不運のうちに亡くなった伊予親王(桓武天皇の皇子)とその 母の藤原吉子の霊をなだめるために、承和六年(八三九)に創建されたといわれている。
【祭神】
伊予親王、藤原吉子、崇道天皇(早良親王)、吉備真備、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麿、火雷天神の八所御霊
猿田彦社、垂加社(江戸時代の国学者・山崎闇斎)、柿本大神、稲荷神社
下御霊天満宮(菅原道真公)
春日社、神明社(内宮、外宮)、八幡社
大国主社、日吉社、大将軍社、愛宕社、斎部社
【建物】
本殿は、寛政三年(一七九一)仮皇居の内侍所仮殿を移建した。本殿の前には、切妻造の幣殿(寛政五年)があり、その前には唐破風造拝所(寛政五年)があります。表門は、旧建礼門を移したものといわれている。
【由緒】
当初、出雲路(上京区)にあり、御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれる ようになったといわれている。天正十年当地に落ち着く。京都御所の産土神として崇敬され。享保年間 (一七一六~三六)霊元天皇は当社に行幸し、宸筆の祈願文を納めている。
【交通】
京都御苑の南東にあります。
本殿に覆いがありました。修理でしょうか。

祭りの御輿と鳥居前と社殿前の狛犬

上段  下御霊天満宮、右は大国主社と四社
中段  2枚目は春日社、3枚目は外宮と内宮、4枚目が八幡宮、1枚目は外観
下段  稲荷社、右端は柿本大神と猿田彦大神

テーマ:おこしやす!京都  - ジャンル:地域情報

  1. 2008/09/14(日) 09:05:53|
  2. 中京区
  3.  | トラックバック:0
  4.  | コメント:0

一夜天神

この天神は壬生寺にあります。 「その昔、菅原道真公が筑紫へ流罪に処せられた時、この壬生の地に親戚を尋ね、一夜を明かし、別れを惜しまれたという伝説がある。 江戸時代前期、壬生寺の支院・寂静庵の開基、託願上人の夢枕に道真公が立たれ、壬生の地に道真公をまつるように告命されたという。そこで上人は神像を刻み御社を建立して「一夜天神」と名付けたといわれる。 現在の御社は嘉永五年の再建ではあるが、御神体には託願上人刻と伝える一夜天神像がまつられ、御社前の石鳥居には「寛文十二壬子年(1672)」「託願建之」の文字が見え、当時のおもかげがしのばれる。 一夜天神は「一夜にして知恵を授かる」として、学業上達の御利益を伝える。また、一夜天神の向かって左には六所明神、向かって右には金毘羅大権現があわせてまつられている。六所明神は壬生寺の鎮守である。金毘羅大権現は伽藍守護の神である。」との貼り紙がありました。
壬生寺を入って直ぐ右側にあります。

この天満宮は洛陽天満宮25社に入っています。

テーマ:おこしやす!京都  - ジャンル:地域情報

  1. 2008/09/06(土) 23:49:17|
  2. 中京区
  3.  | トラックバック:0
  4.  | コメント:0

北野神社御旅所-御輿岡神社

大巳貴命、少彦名命、菅原道真公を祀っています。
社の案内によると
「太古この近辺は神楽岡と称する大きな森林であり、
大巳貴命・少彦名命の二神は、鎮守の神として
祭られてきた。天暦元年(九四七)北野に天満宮が
創建されて、初めて神輿がこの場所に渡御したことにより
御旅所と定められ、地名も御輿岡に改称された。
さらに、菅神を合祀して北野天満宮の境外末社となる。」
とあります。
洛陽天満宮の第二〇番です。




地図

テーマ:おこしやす!京都  - ジャンル:地域情報

  1. 2008/08/16(土) 11:32:11|
  2. 中京区
  3.  | トラックバック:0
  4.  | コメント:0
  次のページ >>

プロフィール

こまとし

Author:こまとし
街で見つけた面白いものを書いています。

こまとしのホームページ

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

訪問者

ご訪問ありがとうございます。

最新記事

Blogram

blogram投票ボタン

gooあしあと

yahoo

カテゴリ

検索フォーム


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。