ちょっと違う風景
町の珍しいものとかを紹介します。主に社寺とお花。
孝徳天皇の都した難波豊崎宮の廃された後、この地は荒れるにまかされ、宮址の一隅は松林となった。世に八本松とよばれた。
藤原重治がこの地を開墾するに及び、宮地がむなしく埋滅することを恐れ、樹林中に小祠を建立して孝徳天皇を祀った。後に村一の願いよって」須佐之男命を合祀した。 明和九年(1772)火災に罹って社殿と舊記を悉く焼失した。明治末期に南長柄の八幡神社を相殿に合祀、また東照宮と厳島神社を合祀した。
大阪駅を出た電車からよく見えます。
稲荷神社
鹿島神社
近くの景色です。JRのガードと毎日放送の社屋が見えます。
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山城国一の宮です。正式名は賀茂別雷神社。
外幣殿(御所屋)
法皇、上皇等の御幸や摂政賀茂詣での際の著到殿、又競馬会神事、葵祭に使用する。寛永五年(1628)造営。重要文化財です。
ならの小川
風そよぐならの小川の夕ぐれは
みそぎぞ夏のしるしなりける(藤原家隆卿)-小倉百人一首の古歌
平安の昔、神職がみそぎを修していた情景を詠んでいる。
土屋
往古より神主以下社司の著到殿、現今は祓所として使う。寛永五年(1628)造営。重要文化財
舞殿(橋殿)
往古より勅使御拝の殿舎 文久三年(1863)の造営 重要文化財
摂社-片山御子神社
玉依比賈命を祭る。
「延喜式内の古社である。延喜式には、「片山御子神社と載せている。賀茂縣主族の祭祀の権を握って居られた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得せられた神で、常に別雷神の御側に侍ってお仕えもうし上げておられたのである。よって現在にあっても本宮恒例の祭祀には、先ず当神社に祭を行う例となっている。それは只今より御奉仕申し上げる本宮のお祭りは、御祭神の御名によって、お仕え申し上げる由を、予め奏上せんとする意味から行うのである。
古来第一摂社と崇められている。事情かくの如くであるので、皇室の御崇敬も厚く、本宮へ行幸、御幸等の場合は当社へも奉幣あらせられることが屢々であった。天正十九年六月十一日正一位を奉られている。古く当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が三個あったが、天正年中汚穢の禍を懼れて地下に埋没したという。」と立て札に書かれています。
本社
川尾社(末社) 罔象女神を祭る。
新宮神社(摂社)山尾社(摂社)
玉橋(木造反橋 重要文化財)
橋本社(末社)
賀茂山口神社(摂社)御歳神を祀る。
岩本社 底筒男神・中筒男神・表筒男神をまつる。
文徳天皇の皇子である惟喬親王を祭る。惟喬社とも言われている。玄武は、その名がしめすように平安京北面の守護として鎮座します。親王の末裔が元慶年間(877-885)に、親王の霊を慰め、王城北面の鎮護を願って、親王寵愛の剣を祀ったことからはじまる。訪問時は、四月第二週に行われる「玄武やすらい際」の準備中で、剣が飾られていました。
拝殿より覗くと、玄武(亀に蛇がまいている)が置かれている。
何造りでしょうか。権現造りでしょうか。立派な建物です。