ちょっと違う風景
町の珍しいものとかを紹介します。主に社寺とお花。

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福長神社

御祭神 福井神、綱長井神
由緒

祭神は神祇官の西院に祀られていた坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)五座のうちの二座です。
宮中神三十六座のなかに入ります。
豊臣秀吉が聚楽第を創ったときに、福井神、綱長井神の二座を合祀し、福長大明神として当町に遷された、水神として崇敬されている。
坐摩巫祭神五座とは、生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神です。
大阪市の坐摩神社に、五座が祀られている。
福井市にも足羽神社に五座が祀られており、福井市は福井神よりとったといわれている。


Google地図には載ってないのでストリートビューを表示します。縮小すると場所が分かります。

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テーマ:おこしやす!京都  - ジャンル:地域情報

  1. 2009/06/25(木) 00:52:08|
  2. 上京区
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白峯神宮

御祭神 崇徳天皇淳仁天皇
由緒 明治天皇は父孝明天皇の意志を継ぎ、保元の乱で讃岐へ流された崇徳天皇の慰霊のため、明治元年、讃岐の白峯陵より神霊を迎えて、創建された。
明治六年には、奈良時代に僧道教と恵美押勝の争いにより、淡路島に流された淳仁天皇を合祀した。
この地は、蹴鞠・和歌の宗家飛鳥井家の邸跡で、同家の守護神「まり大明神」が祀られ球技愛好者に崇敬されている。他に「伴緒社」「潜龍社」などの境内社があり。「おがたまの木」は京都市の天然記念物に指定されている。



拝殿前の狛


地主社
右御前 柊大明神(厄除・延命長寿) 糸元大明神(織物業繁栄)
中御前 精大明神(スポーツ競技上達・技能芸能上達)

平安時代に蹴鞠の宗家飛鳥井家の邸内社として祀られており、当神宮創建後に地主社となった。

左御前 白峯天神(学業成就)、今宮大神(家内安全・無病息災)

伴緒社(とものをしゃ)
御祭神 源為義公、源為朝公

伴緒社の狛犬

潜龍社
御祭神 白峯大龍王、紅峯大龍王、紫峯大龍王

龍神様の坐す潜龍の井から湧き出る神水は、家内安全・家業繁栄並びに悪縁を断ち良縁を得る霊験あらたかなる水神様として、篤く尊崇されている。


オガタマノキ


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テーマ:おこしやす!京都  - ジャンル:地域情報

  1. 2009/06/09(火) 00:33:29|
  2. 上京区
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相国寺の神社

宗旦稲荷神社
由来

江戸時代の初め頃、相国寺の境内に一匹の白狐が住んでいた。その狐は、しばしば茶人、千宗旦に姿を変え、時には雲水にまじり坐禅を積み、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していた。
宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことたびたびであったが、ある時宗旦狐は相国寺塔頭慈照院の茶室びらきで手前を披露していた。驚いたことに、その点前は実に見事なもので、遅れてきた宗旦は、その事に感じ入ったという。これも、宗旦の人となりを伝えた逸話である。
その伝承のある茶室頤神室は現在でも慈照院に伝えられている。茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したもので、普通のお茶室の窓より大きくなってしまったという。
宗旦狐は豆腐屋の店先から油揚を盗み、追いかけられて井戸に落ちて死んだとも・・・とも伝えられている。化けていたずらをするだけでなく、人々に善を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養した。


不明な神社

八幡神社

八幡神社の狛犬

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テーマ:おこしやす!京都  - ジャンル:地域情報

  1. 2009/05/31(日) 01:00:36|
  2. 上京区
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梨木神社 京都市上京区

明治十八年(1885年)に創建された別格官幣社で、明治維新の功労者三条実萬公・実美公父子を祀り、三条家の旧邸が、梨木町にあったことにちなんで名付けられた。実萬公は、文化九年(1812)以来四十七年間、光格、仁孝、孝明の三代の天皇に仕え、皇室の中興に尽くしたため、幕府と対立し、その圧迫により一乗寺に幽居したが、翌年の安政6年(1859)に逝去し、「忠成公」の謚号を賜った。実美公は、幕末期の尊王攘夷運動の先頭に立ち、明治維新後は太政大臣に任ぜられたが、明治24年(1891)に逝去し、正一位を贈られ、大正四年(1915)に父を祀る当社に合祀された。
旧茶室は、京都御所春興殿(賢所)の神饌殿を改築したもので、境内手水舎の井戸「染井」の水は京の3名水の一つとして有名である。
また、当社は萩の名所として知られ、毎年九月の中旬から下旬に催される「萩まつり」の頃は、多くの参拝者でにぎわう。(境内の京都市掲示板より)
この神社は京都御苑の一角にあります。大きな神社ですが、訪れる人は少なく、静かでした。祀られているのは、実在の人ですが、何か神秘的な雰囲気がしました。

resize19070.jpg resize19077.jpg resize19076.jpg resize19081.jpg

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  1. 2009/05/24(日) 01:42:57|
  2. 上京区
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護王神社 京都市上京区

御祭神 和気清麻呂、姉の和気広虫
由緒 (境内案内によると)
もとは、神護寺境内にあったが、明治十九年この地に移された。

和気清麻呂:延暦十二年正月狩猟にことよせて桓武天皇を東山にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら長岡から京都への遷都を進言し、それが認められて平安遷都が決定した。
七六九年弓削道鏡が皇位を奪おうとしたとき、宇佐八幡宮のご神託を受け、清麻呂がその野望を挫いたので、道鏡の怒りを買い、大隅国(鹿児島県)へ追放された。その途中、豊前の宇佐八幡へお礼参りされたとき、どこからともなく三百頭の猪が現れ、公を取り囲み宇佐八幡までの十里の道のりを案内した。その時に、長年患っていた足萎えが治った。この故事により、猪を霊猪と讃え、拝殿前や鳥居前に猪像がいます。

和気広虫:広虫とその夫は社会の福祉につとめ、平城京内の孤児をあつめて養育し、七五六年には成人となった男九人、女一人を養子とした。広虫は三〇歳あまりで未亡人となったが、孝謙上皇に仕え、上皇が仏門に入ると、出家して法均尼となる。その後も、孤児の引き取りや、仲麻呂の乱に連座した者の助命・減刑に奔走した。マリアテレジアのような人であった。七九九年七十歳でこの世を去った。
広虫が慈悲深く、京中の孤児を養育したことにより子育て明神と呼ばれ、育児の神として信仰される。


鳥居横の狛猪
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拝殿と拝殿前の狛猪

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立派な建物の本社

祖霊社 と 久邇宮家御霊殿 と 警察消防招魂社



いろんな所に猪がいます。(画像をクリックすると大きくなります。)

かりんの木


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テーマ:おこしやす!京都  - ジャンル:地域情報

  1. 2009/05/20(水) 01:11:00|
  2. 上京区
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